11月例会「森田療法を学ぶ」


【報告】

 自己紹介と近況報告の後、森田療法についての学習を行いました。

 資料を幾つかに区切って朗読して、森田療法を吃音に適用した場合、どうとらえていったらよいのかを話し合いました。内容が難しかったようですが、ある程度は理解されたのではないかと思います。今回使用した資料の概略は、「基本的不安と適応不安、自己中心的防衛体制と不安の対象、防衛単純化、手段の自己目的化、あるがままとは、生の欲望」についてです。簡単に言えば、『どもりそうだから話すのは恥ずかしいな恐いなという感情はそのままに(あるがままに)しておいて、生の欲望、つまり向上発展の本心に従って(向上発展の本心のあるがままに}必要なことは話していくことが大切である。それが建設的な生き方ですよ。』ということでしょうか。森田療法の本はたくさん出ていますから、もっと深く学びたい方は、そちらを読んでみて下さい。

(加藤)

【感想】(暫定)

 今日は森田療法について学びました。

 森田療法というのは、かいつまんで説明すると、さまざまな症状をあるがまま受け入れ、あきらめやはからいごとを強制的に止め行動することで徐々に症状の軽減を図るというものです。

 吃音にあてはめると、吃音症状が出る恥ずかしさをあるがまま受容し、吃音があるから誰とも話さないようにしようとか、電話を取らないようにしようなどといった「あきらめ」や、随伴運動や言い換えを用いて取り繕ったり、きつねそばが食べたいのに「き」が出ないからたぬきそばにしようなどといったような「はからいごと」を強制的に止め、無理にでも人に話しかけ、電話も積極的に取り、出だしに何分かかろうともきつねそばを頼むといったことを繰り返すことで、恥ずかしさを徐々に軽減させるという感じになるでしょうか。

 う~んこれはどうも…スパルタだなぁというのが率直な印象ですね。世界に自分一人しかいないなら、スパルタで軽くするのもいいとは思いますが、相手があることですからね…無理に電話を取って取引先に迷惑をかけたり、後ろに何人も並んでいるのにオーダーの最初の一音をあるがまま出すことにこだわって何十秒もどもり続けるのはいかがなものかと思いました。

 ただ救いは、吃音症状そのものの改善の努力を否定せず、むしろ「生の欲望」に基づく向上発展の努力として肯定されていることですね。吃音が他から見てわからないくらい改善するまで何もしないというのは「あきらめ」だけれど、スパルタ的な社会参加と並行して直接法や間接法などでの改善を図るのはOKですよ、とのことでした。

 自己療法としてこれを用いるのは、はっきりいって危険だと思います。生活の発見会や、(言友会の場合は)廣瀬カウンセリングなどに参加し、適切な指導の下に行えば、認知行動療法などと同様に、かなりの効果が期待できるのではないでしょうか。ただ一種のショック療法なので、ダメージを覚悟で、ですね…。勉強になりました。加藤さん、ありがとうございました。

(Web担当 松村)