「吃音者のための、からだとことばのレッスン 第2弾」


【報告】

 去年の9月の埼玉言友会例会、10月の東京言友会例会、12月、1月の東京言友会有志の集まり、そして今回の埼玉言友会でのレッスンと、成人吃音者と対面してのレッスンの経験を重ねてきました。

 私は、「ことばが劈かれるとき」を書いた竹内敏晴さんのところでレッスン参加して3年位でほぼ吃らないような話し方を見出していました。もう30年以上前のことです。その後竹内さんはたくさんの吃音者のレッスンをしてきたようです。しかし、今私が話しているようになった人は誰もいないようです。

 2006,7年頃18年ぶりで竹内さんに会った時に、まず私が吃っていないかどうかを探るようなまなざしで私を見ていました。私は吃っていませんでした。
 これは吃音が完全に治っているということではありません。リラックスして、自分を「世界に開いている」と、「吃るかもしれないという恐れや不安から離れていられる
と言うことです。そうすれば吃りは起こらない。
 しかし、吃音は常に潜在しています。これを根本的に治療するには、脳科学や神経生理学のレベルで、「吃音はどのような原因で、どのように生じるのか、一旦生じた吃音の吃るかもしれないと恐れや不安を持ったら吃音が生じるという自動的な回路を除く」研究が必要でしょう。

 私が今やっているのは極めて実践的なことで、人と人が対面したときに起こることに基づいています。
 どうやったら話す時に、吃るかもしれないという不安や恐れなどの予測から離れることが出来るのか?
 吃音は自分が作り出しているのです。吃かもしれないと未来を予測しているから、それが構音器官を緊張させ、吃音を生じさせているのです。これはあまりにも自動的なプロセスであり、当たり前の常態になっているのでなかなか気づかないのでしょう。

 私も根本的に吃音が治っているわけではないのですが、実用的には自然に流暢に話すことが出来ます。
 しかし、これは吃音症状を何とかしようとした結果ではないのです。リラックスして物事に集中するようになったことにより、「吃るかもしれないという恐れや不安」から離れていられるからです。

 吃音に焦点を当てたレッスンを始めたばかりですが、最初はこれまでの自分の変わってきた経験を基にレッスンを進めていました。
 しかし、言友会関係の4回のレッスン、自分の研究所での吃音の人のレッスンなどの経験などを通して、新しい糸口が見つかりそうなところにきました。
 勿論それらの土台にはこれまでの私の吃音の体験、さまざまな人たちとレッスンをやってきたことがあります。

 それは、いきいきした想像力の中で生きたり、真に他者と交流する中で、従来の自分の枠には閉じこもっていられないことで、結果として「吃るかもしれないという恐れや不安に陥ることから離れる」ことが出来るのです。

 まだ短い時間だけですが、従来の注意転動法のようなレベルかもしれませんが、そうではなくて、この状態をリラックスして集中している状態を、自分で創りだし持続することが出来れば、もっと楽に自然に流暢にことばが生まれてくることを予感させます。

 そのためにレッスンの最初には「ゆらし」と呼ばれるリラックスへの準備の時間が必ずあります。その時間がなければ、想像力が動いたり、いきいきとした交流が起こるのはとても難しいのです。

(三好)